学生証を提示して優待を 学生割引制度紹介

 暖かくなるこれからの季節、文化や歴史を味わってみてはどうだろうか。立命館大学の学生であれば受けられる2つの優待制度を紹介したい。

 一つ目は、京都市キャンパス文化パートナーズ制度だ。公益財団法人大学コンソージアム京都に加盟している大学の学生であれば、文化施設で優待を受けることができるというものだ。立命館大学は公益財団法人大学コンソージアム京都に加盟しているので、この制度を利用できる。登録・入会手続きが必要だが京都市情報館のホームページから無料で会員証を入手できる。学生証と会員証とを提示すれば二条城や京都市動物園等に100円で観覧できたり、通常の拝観料より安く入館可能だ。

大政奉還の場となった二の丸御殿大広間
大政奉還の場となった二の丸御殿大広間

 二つ目は父母教育後援会が主催する「キャンパスメンバーズ」という制度だ。こちらは、学生証を提示すれば無料で主要な博物館や美術館を観覧できる制度である。

 それぞれの制度によって優待対象の施設が異なるので、予め確認してほしい。対象の優待施設は各ホームページから確認できる。

是非この制度を利用して多くの芸術や歴史に触れてはどうだろうか。

 今回はこの制度を利用して二条城へ行った。二条城といえば、二の丸御殿が有名だ。二の丸御殿には、1867年(慶応3年)10月に15代将軍徳川慶喜が諸藩の重臣を集め、大政奉還を発表した舞台である大広間があり、二条城の中でも人気スポットとなっている。

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くるり 20周年記念ライブを立命館大で開催【紙面より】

ロックコミューン部室にて20周年ライブを行うくるり(撮影:渡辺一生)
ロックコミューン部室にて20周年ライブを行うくるり(撮影:渡辺一生)

 2016年9月1日で結成20周年をむかえたロックバンド、くるりが9月1日に結成の地である衣笠キャンパスでスペシャルライブを開催した。

 くるりは立命館大学在学中に岸田繁、佐藤征史、森信行らによって結成されたロックバンドで、今回のライブは現在脱退した森信行を交えて行われた。 

 ライブはインターネットで生中継され、結成当時の話を加えながら、約1時間半で全11曲を演奏し、20周年記念を自ら祝した。

 

 

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海神(わだつみ) 2015.6・7月号より

 大きな声では言えないが、ある筋から盗聴テープが手に入った。テープの中身は、なんと某日の政権与党の会合の様子。ここだけの話ということで、こっそり中身をお教えしよう...

▼「国立大学への例の先月の通知。反応はどうだ?」ある議員が切り出した。どうやら議論の中心は、国立大学改革についてらしい。問われた議員が答えて「ああ、人文社会科学系学部を縮小しろ、という通知だね。やはり、大学教授からの批判は多いな」

▼すると別の議員が「文系の学問は実社会では役に立たない。そのくせ人間や社会の本質・問題点を考えようとするから批判的思考力が身に付く。簡単に批判的思考力なんか持たれてもね」と話す。どこからか「政府の批判ばかりするようになるだけだ」という声も

▼「文系を盛んにしても、批判勢力が強くなるだけだ。いつぞやの3人の憲法学者みたいな者が増えるぞ」と衆院憲法審査会で安保関連法案が、3人の憲法学者全員に違憲と判断された話も出てくる。最後に誰かが一言「このまま縮小させた方が国家のためになろう」。テープはここで終わっている

▼以上は、もちろん記者の創作である。畏れ多くも朝日新聞の名コラムニスト、故深代惇郎さんのある日の「天声人語」から体裁を拝借した

▼だが、先月25日の自民党若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」の一幕を見ると、永田町では、本当にこんな会話がされていそうな気がする。記者の杞憂(きゆう)だろうか。

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【文化雑感】知識人死して、言論も死す?

2015年6・7月号より

 

 現在の日本の言論状況は、決して高次な水準だとはいえないだろう。特にネット言論は、確かな知識に基づかない論評や感情論であふれかえっている。

 では、ネットを中心とする言論の在り方はいつ始まったのか。その萌芽(ほうが)は1990年代にあった。90年代は言論活動の在り方が、大きく変質する兆しとなる出来事があった。

 

 一つは戦後日本の言論界を支えた多くの知識人が死去したことだ。丸山眞男が96年、川島武宜が92年、大塚久雄が96年、福田恆存が94年、司馬遼太郎が96年に死去した。

 もう一つは95年にウィンドウズ95日本語版が発売されたことだ。これは現在のインターネット社会の起点となった。

 以上のウィンドウズ95の発売と知識人たちの死は、言論活動の媒体が新聞・雑誌からインターネットへ、担い手が知識人から大衆へ、と移行したことを暗示しているように思えてならない。

 それまで言論活動は、知識人によって新聞や論壇誌などを通じて、上からの啓蒙という形で行われていた。しかし、90年代以降のネットという新たな言論空間の登場により、自分の考えを誰でも自由に発信できるようになった。つまり上からの言論に対して、下からの言論が実現した。

 ネット言論については、前述したように現在さまざまな問題が生起している。どれも送り手の稚拙さや無責任さからくるものが多い。

 現代は、昔と違い誰でも言論の送り手になれる時代だ。ならば、より多くの人が、思考の基礎に知性や教養が必要なはずだ。ネット言論の時代だからこそ、改めて知性を養い、それを基に思考し、表現することの重要性が認識される必要がある。「知識人死して、言論も死す」とはならないようにしたい。 (福井優)

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【文化雑感】白川静先生と東洋

2015年5月号より

 

 「三千歳の青年」。ある中国文学者が、老いてなお休むことなく、研究に情熱を注ぐ立命館大名誉教授、白川静先生をこう賛している。

 昨年度、特集「白川静を学ぶ」のために白川先生にゆかりのある方々を取材したり、その著作を読んだりした。取材したどの方々にも共通する白川評の一つが「ユーモアのある方だったが、一方で学問への態度は厳しかった」というものだった。

 

 芳村弘道立命館大教授は、白川先生は、風邪をひいて体調が優れない日も講義を休むことをせず、自宅に学生を招いて教えることもあった、と思い出を語ってくれた。

 白川先生は、なぜ学問に対する情熱を持ち続け、研究に没頭したのか。白川先生の研究は、ただ漢字の字源研究が最終目的ではなかった。漢字の字源研究を通して、中国古代の思想・文化を解明し、かつて東アジアに、漢字・漢文を媒介に存在した共通の価値観である「東洋」の原初的精神を明らかにし、復活させることが最終目的だった。

 現在、グローバル化により英語の重要性が叫ばれる中、漢字や漢文の教養は、ますます軽視される傾向にある。また東アジアの国々の政治的関係は決して良好ではない。

 白川先生が追い求めた理想は、幻だったのか。しかし、白川先生は「東洋がかつて存在していたことは、歴史的にも厳然たる事実である。歴史的な事実である以上、それは必ず歴史的に回復する機会をもつであろう」(『回思九十年』平凡社ライブラリー)と書いている。

 私たちが今一度、漢字・漢文を見つめ直し東洋を認識することが、ひいては中国・韓国などの国々との共通する価値観を見いだすことになり、文化的紐帯を得る契機につながるのではないか。

 現代社会を考える上でも、白川先生の学問の意義は大きい。 (福井優)

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【文化雑感】伊丹映画再発見!

2015年1月号より

 

 伊丹十三―。読者はこの人物をご存じだろうか。1980〜90年代に活躍した映画監督である。伊丹は84年に葬儀を急に執り行うことになった家族の様子をユーモラスに描いた「お葬式」で監督デビューする。

 

87年には「マルサの女」で国税局査察部と脱税者の攻防を描き、92年「ミンボーの女」では民事介入暴力の問題を取り扱った。他にも医療・食品偽装・カルト宗教と一般の人々が知り得ない世界を、ジャーナリスティックな視点で映画化した。

 伊丹映画の視点は、伊丹の父で映画監督であった伊丹万作の影響もあるのかもしれない。万作は46年の「戦争責任者の問題」という文章の中で、太平洋戦争の戦争責任が一部の戦争責任者にのみあり、国民はだまされていた、とする風潮を批判し、だまされた国民にも責任があると指摘した。

 

 万作は「だまされたものの罪は、(中略)あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」と書いている。

 一連の伊丹映画は、人々に、だます側の手の内を次々と明かし、だまされない知性を養ってほしいという思いもあったのかもしれない。

 また、伊丹映画はシリアスなテーマでありながら、それを完璧な娯楽映画として仕上げている点も魅力の一つだ。とにかく映画の最初から最後まで面白い。これは、膨大な映画の教養を持つ伊丹にのみなせる業だろう。

 伊丹は97年、64歳で逝った。今、伊丹が生きていれば、この混迷する現代社会をどのような視点で切り取り、どんな映画を撮るのだろうか。その早すぎる死が悔やまれてならない。 (福井優)

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