「バンコクの性産業と日本人」 

バンコク3大歓楽街の1つ ソイ・カウボーイ
バンコク3大歓楽街の1つ ソイ・カウボーイ

 東南アジア屈指の大都市・バンコク。 三島由紀夫の小説「暁の寺」に描かれたワット・アルンや古都の香りが残るアユタヤなどを目当てに年150万人以上の日本人観光客が訪れる。またビジネスなどを目的として5万人以上の日本人がバンコクに暮らしている。

 バンコクは昼と夜で顔を一変させる。整然とした昼顔から混沌とした夜顔へ。ネオン輝くバンコクの夜、人々は一晩の快楽を求める。「家族を養うため」「ビジネスを始めるため」

バンコクの夜に生きる女性を追った。

 熱帯モンスーン気候に属するタイの8月は雨期の真っ最中である。晴れ間から黒い雲が顔をのぞかせたかと思うと、瞬く間に豪雨がすさまじい勢いで地面を叩く。雨の降っていない時でも、大気中の湿気が往来を歩く人のホワイトシャツを汗で湿らせる。

豊かさの中の貧困

市内のルンピニー公園から望む高層ビル群
市内のルンピニー公園から望む高層ビル群

 タイの首都バンコクは高層ビルやショッピングモールが立ち並ぶ近代的な都市である。バンコク中心部・スクムビットにある「TERMINAL 21」は空港のターミナルを意識して作られた9階建てのショッピングモールだ。各階の入り口には「SANFRANCISCO」や「ISTANBUL」といった世界中の都市の名前が掲げられていて、日曜日ともなると家族連れで賑わう。

 タイはASEAN諸国の中ではインドネシアに次ぐGDP(名目比)を誇っている。現地駐在歴の長い日本人は「ここ30年ほどでバンコクの街は驚くほどに発展し、物価も高くなった」と語る。経済発展を続け、豊かな国へと変貌するタイ。そんな国の中で、取り残されていく人々もいる。

 「TERMINAL 21」の前の通りには物乞いが紙コップを往来に突き出して手を合わせている。横断歩道の中洲のようになっているところでは10歳くらいの少女が段ボールの上に寝転びながら、うつろで悲しげな目を通行人に投げていた。その少女の肩まで伸びた黒髪にはゴキブリがつたっていたが、少女は気にするそぶりを見せなかった。道行く人が少女の持つ紙コップに10バーツ硬貨(35円)を入れると消え入りそうな声で「コップンカー(ありがとう)」とつぶやいた。

世界中からバックパッカーが集まる

夜中までバーからはダンスミュージックが流される
夜中までバーからはダンスミュージックが流される

 バンコクはアジアを代表する国際都市でもある。2016年には香港に次いで世界で2番目に多く外国人観光客が訪れた。またアジアからヨーロッパ、ヨーロッパからアジアへと向かう航空便の経由地としてバンコクに立ち寄る旅行者も多い。

 物価が日本やヨーロッパよりも安い(日本と比べるとおおむね3分の1程度)ことからバックパッカーとして訪れる若者の姿も見受けられる。特にワット・アルンなど有名な寺院が集まる王宮エリアの近くにあるカオサン通りは「バックパッカーの聖地」として知られている。ツーリストオフィスや土産物屋が立ち並んでいて、夜になるとバーから大音量のミュージックが0時過ぎまで流される。往時を知る人は「バックパッカーも身なりがきれいになって、カオサン通りもただの観光街に変わってしまった」と嘆くが、沢木耕太郎が「深夜特急」の中で描いた混沌とした世界の残滓を味わうことはできる。

 

3大歓楽街の1つ ソイカウ・ボーイ

ソイカウ・ボーイ 店前では水着姿の女性が客引きをしている
ソイカウ・ボーイ 店前では水着姿の女性が客引きをしている

 スクムビット駅から歩いて5分ほどの所にバンコク3大歓楽地の1つに数えられるソイカウボーイ(残り2つはパッポンとナナ)がある。150メートルほどの通りの内に40軒ほどの店があるが、その半分ほどは「ゴーゴーバー」と呼ばれる業態の風俗店である。店内のステージでは水着やトップレス姿の女性が踊っていて、客は気に入った女性を隣に座らせてお酒を飲む。330ml入りのビール瓶が200バーツ(約700円)ほどで、女性の注文するドリンク代も支払うので会計時には大体1人500バーツ(約1750円)ほどになる。グラスのお酒が少なくなってくると、女性が耳元で片言の日本語を囁く。

「一緒にホテルに帰りましょう」

 ゴーゴーバーで働く女性によるとショートタイム(1~2時間の連れ出し)を希望する場合には3600バーツ(約12600円)ほどで女性を連れ出すことができる(女性に3000バーツ。店に600バーツ)それらに加えてホテル代が300~700バーツほどかかる。また同じくソイカウボーイ内にあるレディーボーイ(便宜上、レディボーイとひとまとめにするが、性適合手術を受けた人、ホルモン注射だけで手術を受けていない人など多様に存在する)専門のゴーゴーバーでは連れ出し代が2700バーツ(女性に2000バーツ。店に700バーツ)であった。

 この連れ出しのシステムがゴーゴーバーの人気の理由である。外国人が本国よりも安価で性行為に及ぶために店を訪れる。そういった外国人の中でも歓楽街でよく見かけるのが日本人の姿である。

「日本人通り」とも呼ばれるタニヤ

AM2時のタニヤ裏通り 仕事を終えた女性が食事している
AM2時のタニヤ裏通り 仕事を終えた女性が食事している

 タイを訪れる日本人の数は、スクートやエアアジアなどの格安航空会社(LCC)の登場によって増加傾向にある。タイ国政府観光庁によると、2017年の訪タイ日本人数は前年比7.28%増の154万4328人。またタイに長期間在住する日本人の数は72754人にのぼる。(内バンコク在住は52871人)

バンコク3大歓楽地の1つであるパッポン通りに隣接するタニヤ通りでは日本にいるのかと錯覚するほどに日本人が多い。タニヤ通りは別名で「日本人通り」とも呼ばれていて、カラオケや日本料理屋が密集している。(カラオケは日本のそれとは違って店の女の子を隣に座らせる業態である。連れ出しシステムがある店も多い)脂汗を流した中年男性が2回り以上年下のタイ人女性の腰に手を回してホテルへと消えていく。ゴーゴーバーのオーナーらしき日本人が同胞を店に誘い入れる。風俗店への仲介役であるトゥクトゥク(三輪タクシー)の運転手が耳元で囁く。

「3P、4Pデキルネ」

 日本語でバンコクの風俗店を紹介するフリーペーパーも発行されている。いわく「タイ最強無料エンタメ情報マガジン」。親切にも巻末には夜の会話帳と題したタイ語辞典もある。

一例を紹介すると

「こんなに可愛い人、今まで見たことがないよ」が「マイ・クーイ・ヘン・ナーラック・ベープ・ニー」、「子供つくろうね」が「ミー・ルーク・カン・ナ」だそう。

 記者が訪れた8月には大学生とおぼしき若者も見受けられた。タニヤ通りで働く女性は苦笑する。

「この間、お店に10人くらい日本の大学生が集団でやってきて驚いたわ」

 「夜の遊び」を目当てにバンコクに来る日本人は少なくない。ただタイの女性に対して横柄な態度を取る日本人も散見される。タイで50年以上暮らす日本人男性は「最近、日本人の態度が悪いという苦情が私の耳にまで入ってくる」と眉間を寄せる。

「家族助けるために」と体を売る女性

 タニヤ通りにある日本人向けのカラオケ店(連れ出しあり)で働くグレープ(30)はタニヤから4キロほどのところにある30階建て高層マンションの10階に住んでいる。家賃は13000バーツ(約45000円)とバンコクの中では高いが、出勤先までバイクタクシーで60バーツの距離なのでそのマンションを選んだ。部屋は1LDKで、リビングには10個ほどのブランドバックが並んでいて加湿器の噴射する甘く蒸せるような香りが部屋中を包む。ココアという名前のチワワを飼っているが、ペット禁止物件なので日中でもテレビを付けたままにして鳴き声をかき消している。

「ココアちゃん、騒いじゃだめよ」

 グレープはかなり流暢な日本語を話す。本棚にある10冊ほどのテキストで1年間勉強した。

「でも最近は(テキストを)使わないの。お店のお客さんから日本語を教えてもらうだけよ」

 バンコクで日本人は、タイ人から英語を話すことができないと思われている。記者がバンコクでタクシーを利用した時、運転手に出身地を尋ねられて日本と答えるとこう言われた。

「中国人か韓国人だと思いましたよ。なんせ日本人は英語を話さないから」

 風俗店では、英語を話せない日本人に対して日本語を話せるタイ人の存在は重要である。指名代や連れ出し料金も高くなる。だからこそ店で働く女性は日本語を勉強する。

  グレープはタイ中部にある町(バンコクまで車で3時間半)の出身である。20歳の時に親元を離れてバンコクへやってきた。1年前までは縫製工場で働いていたが、その収入では母と65歳になった父を養うことができないので連れ出しありのカラオケ店で働き始めた。ただ両親はグレープがカラオケで働いていることを知らない。一度、彼女にメッセージアプリを通して「なぜ夜の店で働き続けているのか?」を尋ねたことがあった。そうするとグレープはローマ字入力の日本語で返信を返してくれた。

 

「gomen ne. minna konna shigoto shite hoshikunai kedo kazoku mendom miru kara ne (原文ママ)」

 グレープと両親との関係は良好である。取材した翌日からは仕事の休みを取って、両親をバンコク近郊のリゾート地であるパタヤに連れていくという。数日後にはパタヤで楽しむグレープと両親の写真が送られてきた。    

夜の世界とのあいまいな境界

 バンコクでは副業や学費の足しとして夜の仕事をする女性もいる。タイでは大学などの学費が高額で多くの学生がローンを組んでいる。特に私学の学費は高額で、タイ最大の規模を誇る私立大学であるバンコク大学の経営学部では授業料だけで年間7万5000バーツ(約26万円)ほどになる。(国公立大学経済学部の授業料は年間3万バーツほど)

 タニヤ通りを記者が歩いていると、カラオケ店のママが手を引いてささやいた。

「今は夏休みだから、若い子がいっぱいいるよ」

「学生がお店で働いているの?」

「そう。お小遣いのためにね」

  夜の仕事に対するネガティブなイメージはおそらく日本よりもうすい。いわゆる普通の人と売春婦との境界線がかなりあいまいである。                  

 そのことが実感できる場所がアソーク近くにあるテーメー喫茶である。客は地下へ続く階段を降りて、飲み物代を払い店内に入る。店内には50人以上の女性がカタカナのロの字で並んでいる。その女性たちは全員が売春をする女性で、客との値段交渉が成立すればホテルへと向かう。ただ女性と喫茶にマージンのような関係はないそうだった。客は主にアジア系で日本人がもっとも多く、韓国人、中国人も散見される。

 風俗店での本職があって、テーメー喫茶での仕事は副業という女性もいるが、夜の世界はまったくの素人だという女性も珍しくない。駐在歴の長い日本人はこう教えてくれた。

「靴を見てごらん。ヒールの女性はある程度、夜の世界で働いているかもしれないけれど、運動靴の女性は高確率で素人だよ」

 店内には一種、異常な熱気が漂っている。経済大国の男性が、性のはけ口としての女性を探して外国の出会い喫茶を訪れる。これほどに顕著な欲望の満たし方が他にあるだろうか。金銭を払って性行為をしたい外国人と、金銭が必要な現地人女性。経済構造が作り出したマッチングがこの場で行われている。

 早稲田大学に通う日本人大学生(21)はこうつぶやいた。

「この光景は気持ちが悪いよ。なんだか胸がもやもやする。しかし同時に、僕もややもすれば彼女たちに欲望してしまう。これは矛盾なのかな」

 

「こんな仕事を辞めて、1人を愛したい」 女性が漏らした本音

 ジュエン(23)は今年の3月下旬からテーメー喫茶を根城として働いている。記者が初めて彼女に会ったのは4月の初めであったが、そのころはまったく日本語が話せなかった。しかし9月に再会した時には「ありがとう」や「こんにちは」といった日本語の単語がジュエンの口から発せられて驚かされた。ただ会話は日本語でも英語でも難しいので、客との細かい会話時にはグーグル翻訳を使用する。

 ジュエンは1日に2~3人の客をとる。ショートは2500バーツ(約8700円)、ロングで5000バーツ(約17500円)。気に入らない客に言い寄られた時は高値を吹っかけて遠回しに断るという。収入はもちろん折々の客の量に比例するが、記者が会った前の週は4日の出勤で4万バーツ稼いだという。これはかなり多いほうだそうで、日本の秋の連休と重なったことが要因であろう。

 普通の仕事と比べて夜の仕事の収入はかなり良い。参考までにバンコクの最低賃金を紹介すると、日給で325バーツ(約1100円)である。日本の首都である東京の最低賃金が時給985円であることを考えると、1日8時間労働でおよそ7倍の差がある。平均年収では2017年の試算で56万7344円(国際労働機関【ILO】の発表)となっていて日本のそれ(399万9600円)とは8倍近い開きがある。タクシー運転手に収入を聞くと1日の稼ぎが600バーツほどと言っていたので、ジュエンは一晩でタクシー運転手の1週間分の収入を得ることになる。

「なぜ君はそんなに必死に働くの?」

そう尋ねるとジュエンは「家を建ててビジネスをするためよ」とグーグル翻訳で答えた。ビジネスの具体的な内容は決めていないが、土地を所有しているのでそこで商売をしたいのだという。とりあえずの目標額は80万バーツ。ジュエンはえくぼを寄せて携帯の液晶画面を差し出した。

「3年以内に目標を達成するのよ」

 取材はショッピングセンター内のレストランで食事をしながらであったが、午後8時を過ぎると彼女は「それじゃあお店(テーメー喫茶)に行くね」と席を立ってしまった。

「もう少し、話を聞かせてくれよ。1時間だけ」というと、彼女は掌と舌を出して「5000バーツ」と言った。そうしてジュエンはレストランを出て、人垣をかき分けながら夜の街へと消えていった。

 強気な姿を見せるジュエンだが後日、メッセージアプリを通してこんな本音を漏らした。

「性行為は正直、好きじゃない。こんな仕事を辞めて誰か1人の人を愛したい」

バンコクの夜の底 抜けられない人も

 ジュエンのビジョンは明確で、また目標を達成する意思も強い。

 おそらく数年の内にこういった生活を抜け出すことができるであろう。ただバンコクには夜の底という沼の中で生き続ける人もいる。

 カオサン通りから2キロほど、大通りに面した夜道には深夜2時を過ぎても20人くらい女性が立っていた。女性たちは警察の目を避けながら売春行為を行っている。ゴーゴーバーなどで働く女性と比べると、年齢層が高く一様に消費され切ったようにやつれている。

 その中の1人に声をかけると片言の英語で返してくれた。はっきりとした目鼻立ちなどから、女性はかつて美貌を誇ったのであろう。濃い化粧で昔の片鱗をとどめようとして、逆に悲惨な感じを催させた。40歳は過ぎているようであった。

ショートタイムで620バーツ(約2100円)と提示された。

「私に500バーツ。ホテルに120バーツ」

記者が誘いを断ると、握りこぶしを口元に当てて、それから人気の無い暗い路地を指さした。

「オーラルセックス100バーツ。あとコンドーム40バーツ。」

 

「本当にお金がないのだ。ごめんね」

そう立ち去ろうとすると、女性の口から不意に日本語が漏れた。

「ダイジョブ、ダイジョブ」

バンコクの夜。女性の口から放たれたまったく「大丈夫」そうでないダイジョブが心の中で何度も反芻された。

  

                                バンコク=鶴 颯人

                     ※記事中に登場する女性の名前は仮名とした